こんにちは~。
今日でわたしの連休は最終日。
やりたいことと、“やらなきゃいけないこと”をする予定が、色々あってほぼできませんでした(´`)
というのも、友人(年齢1個上)と会う予定ができたことを先日のブログに書いたのですが
そこから急遽、その友人を家に泊めることになり…
半日掃除でつぶれたあと、昼~翌日の22時まで友人がいた為
本当に何もできなかった…。゚(゚´▽`゚)゚。笑
昼くらいには帰るのかな?と思っていたら、日が暮れてもいるので
『明日仕事でしょ?時間大丈夫?』とか
『家族は大丈夫?』とか(友人は実家暮らし)
色々聞いても、大丈夫~しか言わず。
結局2日間、友人の服や下着まで洗濯して
スキンケアから寝間着、ハブラシ
朝~夜までご飯代も全部ウチ持ちで(財布出してくれない)
今日も夜ご飯も食べていくつもりなんだなと察して外食したあと(しかも夫より食べる)
22時前になってもウチでお酒飲もうとしてたので、さすがに疲労困憊でわたしも風呂入って寝たいと思って
半ば強制的に帰すように、駅まで送り届けました/(^o^)\
夫は仕事で19時頃帰宅したのですが、まだ友人がいたのでビックリしたと言っていて
いや、わたしもビックリしてるんだわww_(:3ゝ∠)_
なんだろう…
その友人のことがキライとかではないのですが、ただとにかく『疲れた』の一言に尽きるんです。
で、なぜそう感じたのか?を考えてみると
・自分のリズムが崩れた
・家族のリズムが崩れた
・お金出してくれないモヤモヤ
・なんでもウチ任せ
・“友人”としての顔を保つ疲れ
だったんです。
自分自身が他人に対してイライラする時は
自分が気を付けていること、やらないようにしていることをされた時
だと聞いたことがあって、まさにそれだなと思ったんです。
お金関連もですが
例えばテレビを観ているとき、友人は観ながらめちゃくちゃ話しかけてくるタイプで。
わたしは内容によっては、ゆっくり静かに観たいので
そういうリズムが合わないんだな、と初めて感じました。
自分の器を大きくしたいとも感じていた時、最近買った本の中に
子どもが感じる寂しさと、大人が感じる寂しさが違う、ということが書かれていて。

子どもは、親が居ないとか迷子になったとか、人がいないことに対する寂しさで
大人は、自分を見失うことの寂しさとあったんです。
友人としての顔、親としての顔、職場の同僚としての顔
夫として、妻として…
そうして人と居ると本当の自分でなくなるから、時々1人になりたくなるのだと。
わたしは“友人としての顔”を続けたので、疲れたんだなと気づきました(´`)
それは、無理に自分をつくっているということじゃないんです。
人といて気を遣うのは当たり前なので…。
その子以外でも
友人を家に呼ぶのは、もうしばらく遠慮したい…(‘、3_ヽ)_笑
友人と過ごす時間は楽しかったけど
ほどほどの距離感って大事だなと、改めて気付く3日間でした。
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